Vol.01

パーソナルトレーナー 黒澤俊陽さん

武道家にも背骨コンディショニングの指導をしている黒澤俊陽さんより、背骨コンディショニングとの出会いやご自身が克服した脳脊髄液減少症について、そしてサラリーマンと背骨コンディショニングの指導者を両立する上での具体的なアプローチなど活動についての話しを聞きました。

※背骨コンディショニング協会では、定期的に指導者が集い、勉強会などを行っております。今回の記事は、その中でお話しいただいた内容を掲載しております。

交通事故による脳脊髄液減少症に。
「このまま一生治らないのでは」という諦めが。

北海道苫小牧市の黒澤俊陽と申します。パーソナルトレーナーとして今活動をしております。背骨コンディショニングと出会うきっかけとなる交通事故にあったのが2014年1月31日です。ブラックアイスバーンというとわからない方もいらっしゃるかもしれないですが、道路がツルツルの状態で、雪が10センチぐらいサッと降ったような路面状況でした。赤信号で止まっているときに居眠り運転の車に追突され、その当日は痛みがわからなく、頭がぼーっとしているなと思った程度だったのですが、翌日にひどく痛みまして。

頭痛と首の痛みがひどく、歩いたときに何か脳に直接”ガンガンガン”と響くなというのは感じたのですが、それが異常だということは後からわかることになりました。ずっと顔面蒼白で目が虚ろという状態で、1年9ヶ月くらいの間ずっと頭と首の痛みが続きました。

たまたま、知り合いづたいのお店で「事故から2年くらい経つけど、まだ首と頭が痛い」という話をしたときに、ブラッドパッチという治療や硬膜外自家血注入療法という治療法の話を詳しく聞いている中で、「脳脊髄液減少症の可能性があるのでは?」ということになりました。早速、紹介してもらった札幌にある専門医の病院にかかり、先生に症状などを話すと「限りなく黒に近いですね」とのことでした。

脳脊髄液減少症であろうということで、実際に検査を受けて治療まで進んだのが、2015年の11月です。10月に診断され、11月から治療を受けた頃一番ひどかった症状が低体温です。体温を測って一番低いときで34.1度という状態で、これはいつガンになってもおかしくないなと自分で思ったほどです。起きていると頭痛もしますし、寝ている状態だとそれほど辛くないのですが。

脳脊髄液(脳と脊髄を包んでいる3つの膜「軟膜」「くも膜」「硬膜」のうち、くも膜と硬膜の間に流れている液体)が、事故の衝撃で漏れてしまったということです。重力により脳の周りにある脳脊髄液の水位が下がって、脳がむき出しの状態と言ったら変なのですが…。外部からの刺激のような、例えば金属音が直接”ガンガンガン”と響く感じであったり、歩いたときに脳に直接”ゴンゴンゴン”というものを感じたり、めまいがあったり。あとは、本当にひどい倦怠感がありました。

治療を受けて、当時は検査と治療で、自費治療で40万円くらいかかったのですが、それによって低体温がまず平熱に戻りました。それは良かったですし、少し楽になった気はしたのですが、それでもやはり頭痛とか倦怠感とか首の痛みとか、腰痛は残っていました。治療が終わって2ヶ月くらいの間は、仕事には出ていたのですが、ずっとこの症状と共に生きていかなければならないのだなと思っていましたし、毎日そばでずっと僕の顔を見ている妻からは「あなた一生治らないのでは…」と言われて、本当に僕もそう感じていました。

気晴らしになればと軽い気持ちで参加した
背骨コンディショニングとの出会い。

そんな中で、脳脊髄減少症のことを知りたくてブログを始めまして、そこでたまたま札幌の背骨コンディショニングの指導者の方とつながりました。背骨コンディショニングって何なのか最初はよく分からなかったのですけど。背骨コンディショニングという言葉がなにかね、すごくいいような気がして。気晴らしにもなるかなとも思いました。2016年5月ですね。札幌で背骨コンディショニング協会の第1回「背骨の日」が開催された際、無料体験会に参加しました。

これまで僕自身はヨガマットとは全く縁がなくて、会場でヨガマットを敷いている人がたくさんいらして、寝転がって皆さんやっているのですが、「いやぁ、こんなんでよくなるなら苦労しないわ〜」と初めは思っていました。体験会が始まって体操を見よう見まねでやって終わってみると、「あれっ?」なんか全身の頭痛もそうですし、首の痛みも、背中の痛みや腰の痛みも「あれー?」という感じで、症状が軽くなったなと実感できて、これは続ければ良くなるんじゃないかなっていう体験をしたのが初めての出会いでした。

それから、その会場で体操のことが載っているベーシック ブックを購入して、2ヶ月間続けました。すごく良くなってきた気がしたのですがちょっと仕事で無理をしてしまって…。半月ほどぎっくり腰になってしまいまして、無料体験会で初めて日野代表の矯正を受けることとなりました。

その年の2・3月くらいに、札幌から苫小牧に背骨コンディショニングの活動を拡げようということで、日野代表と3名のパーソナルトレーナーの方々が、苫小牧で背骨コンディショニングの体験会を開催されていました。来られていたのは知っていたのですが、始めは礼拝を受けたら矯正してくれますよということだったので、ちょっと僕にとっては敷居が高くて、その会場に行ったらキリスト教に入りなさいとか言われるのではないかなという感じがして、ちょっと行きづらかったのですけどね。その半月、曲げられない伸ばせないぎっくり腰の中で、それまで体験した整体とか、カイロプラクティックとか、整骨院や針や灸とか色々ありますが、治療を受けたもので良くなる気がしなくて。それでもう覚悟を決めて矯正を受けてみようと思って参加しました。

本当に日野先生は、手際良く”ちゃっちゃっ”とやってくれるのですけど、そこで感じたのは「あれ、この半月くらいはなんだったのだろう」というくらい症状が消えたので、これはやっぱり今まで僕が知っているものとは全然違うものだということ。これは本当にすごいなと思いました。

「もっとたくさんの人に伝えたい」という想いから
サラリーマンを続けながら指導者の道へ。

その翌月に腰痛解決講座を受講しました。まずは受けてみようということで受けてみましたが、これをやればきっと大抵の人が良くなるのではないかなという気がしました。ただ、その時も僕はサラリーマン(今も)だったので、サラリーマンをしながら指導者になるという選択肢はまだなくて、自分が良くなりたいというゴールを決めてやっていたのですけれど、やはり人に教えてあげたいですよね。そんな中、腰痛解決講座を受けたことをきっかけに、札幌の先生より「ぜひ指導者になりませんか」とお声がけいただきまして。本当にすごくいいものがあったよっていうことを人に話したいのですが、苫小牧市内には当時指導者がいらっしゃらず、ここに行ったらいいですよと教えてあげることができなかったのです。何ができるかわからないですけれど、指導者になってみようということで、次の月にインストラクター養成講座に進みました。

そのような経緯で背骨コンディショニングの指導者になったのが2016年の9月です。年明けくらいから体操教室を始めて、3年ぐらいは2つの教室をやっていました。だいたい1つの教室に10名くらいずつご参加いただいておりましたが、本当にびっくりするぐらいに良くなる人が多くて。中には2週間に一度の教室で体操と筋トレをしているだけでご自分では自宅ではやられない方だったのですが、体操に参加する前は仕事に出ると3日間ぐらい寝込むというような調子の悪い人が、そうですね、2ヶ月は経ってなかったと思うのですけど、「旅行に行って地下鉄の駅を3駅分歩けました」といった報告をいただきました。指導者としてはやはり「筋トレは週2回やってください、体操はできる時間があるときはなるべくやってくださいね」という話をしたのですが、2週間に一度だけ教室に参加しているだけでもものすごく良くなってしまう人が出てきたりとか。

あとは、脊柱管狭窄症でちょっと歩いたらもうしゃがまなければならないという症状の方が、時間はかかりましたけれどもやはり良くなって。本当にさまざまな症状の人がいらっしゃるのですけれど、体操をやっているうちに、なぜかいろいろなものが良くなっていった。これはやって良かったなと思いました。

コロナ禍になってから、僕も体操教室は今時点まで開催できていないのですが、その中でパーソナルトレーナーに進みまして。やはり集団の指導だけではちょっと物足りないなっていう思いがあり、自分もそうですし、クライアントさんもそうですし、やっぱりその方の症状に合わせた体操を教えたり、「こういうことをしたらいいですよ」ということを指導できたらいいなということでパーソナルトレーナーに進みました。

ちょうどパーソナルトレーナーになった頃に、イベントのポスターを貼ってもらうためにお願いに上がっていた公共施設、公民館があるのですが、そこの施設で「背骨コンディショニングを苫小牧市の生涯学習講座として導入したいです」という話をいただきました。僕はサラリーマンなものですから、時間は何とか作れるかなと思ったのですけれど、交渉して話しているうちに講師料の話になってしまって。講師料が苫小牧市から払われると、やはり苫小牧市から源泉徴収が出てしまうのですが、うちの会社はちょっと副業にうるさいものですから、講習料をいただけない…。そこまで話しが進んだところで、「僕、実はサラリーマンで、講師料をいただけないんですよ」とお伝えしました。それから施設の長の方とそのご担当者とで話し合っていただき、ご了承の上、講師料をいただかないカタチで始めることとなりました。前期講座・後期講座ということで春と秋にやらせていただいているのですが、今年の残りの講座あと1回で丸5年になります。

ブログやSNSでの発信から拡がったさまざまな出会い。
ご縁を大切に進んでいくことはとても大事なこと。

といった具合にサラリーマンではありながら苫小牧市の生涯学習講座の講師もやらせてもらい、後は SNS での発信ですね。僕自身ちょっと今は忙しくて書けていないのですが、以前はアメーバブログで書いていました。最初のうちは脳脊髄液減少症のことを知りたくていろいろ自分の症状を書いていて、その後も背骨コンディショニングに出会ってからこんなことがあったということを書いてきました。

書いてきたことが誰かに届くということがあるのですね。知り合いから何名か、知り合いじゃない方からも連絡をいただいたことがありました。10名くらいはいたかなと思うのですけれど。ググるという表現を使いますけれども、例えば気になる症状、頭痛がするとか、めまいがするとか、吐き気がするとか、そのような検索をかけると、多分いろいろと出てくると思います。そんな中でちょうど僕のブログにたどり着いたみたいで、いろいろと調べたけれど「背骨コンディショニングをやってみたい」というお話を結構いただきます。ブログなり、Facebookなり、Instagramなり、Twitter (X)なり、今はツールがたくさんありますので、そういったもので、自分の考えていることとか、こんなことあったよということを書いていくと、そこにたどり着いてくれる人がいたりしますので、それもお勧めですね。

Facebook で背骨コンディショニングの北海道支部で開催したイベントのことを投稿した際に、たまたま同級生の看護師の方に届いたようで。看護師さんは年に1回「看護師職能集会」を決まった地域でやられていて、その中でいろいろなことを研究したり、体験するというそんな職能集会があるのです。そこで背骨コンディショニングをやりたいというお話をいただきました。その当時はパーソナルトレーナーになってはいたのですが、まだ僕自身ビビってまして(笑)。相手が医療のプロなので、日野先生にちょっと泣きつきました。日野先生に主講師になっていただいて、僕はお手伝いするというカタチで開催させていただきました。40名くらいの看護師さんが参加する看護師職能集会で日野先生のレッスンを受けていただきたいということもありましたので。

活動するといろいろなところで、本当にたくさんのさまざまな人に出会ってきました。厚真町で5年前に地震が起きましたが、その翌年に日野先生が「厚真町でやりたいな」ということで「背骨の日」というイベントをやらせていただいたのですけれども、僕を手伝ってくれる人が現れまして。それが偶然にも知り合いだったのです。その「背骨の日」は、100名近くの方にご参加いただいたのですけれども、そのうちの7割くらいの方を、その方が呼んでくれたというようなこともありました。いろいろな人と出会っていく中で、支援してくれる人やすごく理解してくれる人が出てきたりもしますので、ご縁を大切に進んでいくということが大事だなと実感しました。

あと、もう昔の話なのですが、田中マー君(現 楽天の田中将大 投手)がいた駒大苫小牧高校の野球部に息子も在籍していました。優勝した当時の佐々木キャプテンがいま監督として駒大苫小牧高校にいらっしゃるのですけれども、そのようなつながりから、今「佐々木監督を支える会」の副会長をさせてもらっております。そんなご縁から駒大苫小牧の野球部の生徒に体操を体験していただいたり、本当に腰痛のある人には矯正のメンテナンスをしています。

また、空手の選手のメンテナンスもさせていただいています。北海道内で700〜800名の団体なのですけれども、僕が指導とか矯正をさせてもらっている選手の中から10名くらいの選手が全日本チャンピオンになられています。おととし去年とかなり皆さん凄くパフォーマンスが良くなって。全日本優勝って本当にすごいことだと思います。

あと、僕の関わっている中では、例えば大きな総合病院の産婦人科の主任課長さんやそこで働いている方も。そこの看護師さんを今日たまたまメンテナンスさせていただいたのですが、お話ししているとやはりその総合病院の産婦人科の長であったり、そういういろいろ出会いやつながりができてきます。ほかにも、北海道メンタルケアセンターという大きな病院があるのですが、そこの所長さんであったり、いろいろなクライアントさんとのつながりができてきたなという感じで今も活動をさせていただいております。

ほかにも何か知りたいこととかあったら…とも思いますけれども。この辺で。どうもありがとうございます。